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ラーメンの歴史

現在、日本で年齢問わず広く愛され食されているラーメン。それゆえ、日本全国にラーメン店は電話帳に登録されているものだけで3万軒以上(2017年時点)存在しており、ファミリーレストランなどのラーメンを主として提供していない飲食店も含めると、その全体数は計り知れない。

そんな皆に愛され食されているラーメンだが、一体いつから現在のような愛される食べ物となったのだろうか。このページでは、そんなラーメンの日本における歴史について解説する。

  1. ラーメン(中華麺)の起源
  2. ラーメンの発展
  3. 現在のラーメン

ラーメン(中華麺)の起源

中華料理店「来々軒」の写真

中華料理店「来々軒」(1915年ごろ)

日本におけるラーメンの起源については諸説あるが、一説によると、日本で最初にラーメンを食べたのは徳川光圀(いわゆる水戸黄門)であるという話がある。万治2年(1659年)に明から亡命し水戸藩に招かれた際の所持品リストの中に中華麺を作る際の材料が含まれていたことから、ラーメンを作り献上したのではないかといわれている。この際、献上されたであろうラーメンを復元したものが、神奈川県横浜市にある新横浜ラーメン博物館にある。

一方、別説によると長亭2年(1488年)には経帯麺という名の麺料理を来客にふるまったという記録が当時の書物に残されている。この経帯麺には、材料として小麦粉とかん水を使用するという記述もあり、これが現在でいうラーメンと同一のものなのではないかといわれている。

明治時代に入った1884年(明治17年)、函館県(現在の北海道函館市)にあった洋食店「養和軒」にて、南京そばの広告が地元の新聞「函館日日新聞」に掲載された。これは、日本で最初に中華麺が宣伝されたものであるとされているが、南京そば自体の記録があまり残っておらず、実際にどのような料理だったのかは不明だ。

その後、明治43年には東京の浅草にラーメンを主として提供する中華料理店「来々軒」が開店。来々軒の開店も起因し、日本初の一大ラーメンブームが巻き起こり、日本全国にラーメンというものが広まるきっかけとなった。

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ラーメンの発展

屋台でラーメンを食べる人の写真

屋台でラーメンを食べる人(1956年)

1923年(大正12年)、関東大震災が発生する。これにより東京を含む首都圏では甚大な被害が出たわけだが、これをきっかけに東京や横浜にあったラーメン店が日本全国へと散らばることとなった。また、震災により屋台が増加したことから、ラーメン専門店が増えるきっかけともなった。

その後、第二次世界大戦が始まり、日本では米国との太平洋戦争が行われることとなった。政府による規制や空襲などの影響もあり、多くのラーメン店が一時閉店することとなる。終戦後、各地で闇市が誕生し、そこでラーメンが再び流行することとなる。

先に述べた来々軒では、醤油ベースのスープである醤油ラーメンが提供され、全国的にもそれが一般的であったが、戦後になると様々なラーメンが開発されることとなる。

1947年(昭和22年)には福岡県の久留米にある「三九」にて豚骨ベースのスープが特徴の豚骨ラーメンが開発される。1954年(昭和29年)には北海道の札幌にある「味の三平」にて味噌ラーメンが開発され、現在日本全国で愛されている三大ラーメンとも言えよう「醤油」「豚骨」「味噌」が確立された。

ラーメンが確立してきた1958年(昭和33年)、日清により世界初のインスタントラーメンが発売された。これにより、今までは外にある店に行かなければ食べられなかったラーメンが、お湯を入れて3分待つだけですぐ食べることができるようになり、ラーメンがより身近なものとなった。

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現在のラーメン

1958年に日清がインスタントラーメンを発売してから、各食品会社はそれぞれ独自のインスタントラーメン商品を発売していった。

そして、今まではラーメンというものはスープありきのものという認識だったものが、スープに麺が浸かっていないつけ麺というものが誕生したりと、目まぐるしく進化し続けている。

2013年(平成25年)、ラーメンを含む「和食」がネクスコ無形文化遺産に認定され、ラーメンが世界的に認知されるきっかけとなった。

「ラーメン」というものは、元は中国から伝来したものではあったが、その後日本国内で独自の進化を遂げた結果、日本を代表する中華料理へと成りあがった。ラーメンの勢いは、今もやまない。

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出典・引用

※本ページにて引用した画像のいずれも、著作権法に基づき著作権が消滅したパブリックドメイン状態のものを使用しています。